夜行性の犬科 タヌキ様様

今回は、たぬきさんについて。

お好み鉄板焼 金太郎の

マモリガミとして

純和風の豆狸〔親子、兄弟、夫婦のいずれか〕を

カウンター前に置いています。

狸ばやし

狸寝入り

狸親父

たぬきじる

たぬきうどん


日本には古くから、狸の話が山ほど有。


狸は落ちこぼれの犬と言われたりしますが

狼や狐とおなじイヌ科で
アメリカ、ヨーロッパでは絶滅。

今ではアジア特産の動物に成りました。

日暮れ頃から活動して、夜中にひと休み、また夜明けまで活動する
僕らスタッフと同じ夜行性。

呼び名の『たぬき』の由来は
数多いのですが

田畑を荒らすものを捕まえる守り神
〔田の君 タノキミ〕

夜、田畑に出没する怪物
〔田の怪 タノケ〕


そして、キンタローにも有る
たぬき像〔豆狸 マメダヌキ〕は

江戸時代の初期に、縁起物として広まりました。


・丸ハ印の酒徳利は、徳を身につける。

・通帳は、信用第一。

・すげ笠は、何ごとも用心が肝心。

仙台四郎の置物のとなり
狸二匹も置くことで、

自分自身(出世キンタローとして)向き合う力から、
歴史の暗黒部分を学ぶ。


坂田金時(金太郎)と侍の大将の源頼光が登場する
犬のつく地名が多い広島県【犬塚・犬の馬場など】と

★「犬」の名がつく地名にまつわるエピソード★

悪い狸は一匹の妖怪のみ。(妖怪…実際はどんな外道の人物か不明)

別当の丘と言われているところがある。

昔々、この小別当の丘に、本流寺という寺があった。

この本流寺は、積もる年月を経て住む人もなく廃寺となっていた。

その頃、 源頼光という武士が、 家来の渡辺綱坂田金時(金太郎)・貞光光成・季武源馬の、四天王と共に住んでた。

源頼光の死後、家来たちは諸国へ修行に出たり、 別々の場所で暮らすことになった。

寺は誰も住まず荒れていってしまった。

とうとう妖怪変化の住みかとなってしまう。

御堂の祭、村の18・19才ぐらいの娘を1人ずつ、 人身御供に差し出さないと!
もしも、人身御供を出さない時は、家族が泣き叫ぶ中、村の役の者が引き離し御堂につれていった…

犠牲になった娘は、本流寺に住みついて妖怪変化の餌食になってしまった…

以前、本流寺に住んでいた坂田金時(金太郎)が、諸国に修行に出ていて
この辺を通りかかり、日が暮れたので御堂に泊まった真夜中!!
御堂の外で奇妙な唄声がするので、真夜中に夢から覚めギョッとした。

身の毛もよだつような大きな古狸が、手足を振り、地ひびきをたてながら、唄い踊っていた。

坂田金時(金太郎)は、ずっと観察し見て考えていた。

「さては、この古狸か。村の娘を食らようたやつは。」

昨夜の不思議な恐ろしい様子を、さっそく村の衆を大勢集め、語って聞かせ相談をした。

狸が唄っていた中の「権吾呂太夫」という人は、出雲の国の人。

諸国で暴れているどんな鬼や悪魔でも、
その威光をもってとり静めるという 生き神様のように人々から尊敬されていた人!!
だから、あのタヌキヤローも、出雲の権吾呂太夫が恐ろしい。

こりゃあ、何でも権吾呂太夫の力をお借りしょうじゃあないか。
さっそく出雲の国へ使いに行くことにした。

何日もかけて、やっと出雲につき権吾呂太夫に会わせていただくようにお願いした。

ところが!だけどね…あいにく、権吾呂太夫は旅に出てて留守。

うなだれて帰る支度をしたら、権吾呂太夫の御側の方が、気の毒に思ったか、
「ちょっとお待ちなさい。権吾呂太夫様はお留守、その代わりに…」

「権吾呂太夫様がかわいがっていなさる権の守をお貸しいたそう。」

この犬は、強うて賢い。

化け狸なんぞにゃあ、負けゃあせん。

と、1匹の大きな犬を貸してもらった。

さあ、いよいよ化け狸退治!

村の衆は総出で、刀・槍・鍬・鎌などをひっさげて、権の守を先頭に本流寺の周りをとり囲んだ。

寺になだれ込んだが、狸はたくみに姿をかくしてしまい、狸が外に飛び出してしまう。

権の守の網を放し、狸を追跡させた。狸が犬塚を通りぬけ、犬の馬場までさしかかった時、
権の守がとうとう狸に飛び付き、すさまじい闘いが始まった。しかし勝負はなかなかつかない。

権の守が、もう逃がさんぞと行く手をふさいでいた。

後ろからは、村の衆がせまってきている。

権の守は、必死に狸に向かって行き、とうとう狸を噛み殺すことができた。

長年、悪事を働いていた化け狸は、権の守の働きでやっと退治できた。

しかし、ここで悲しいことがおきてしまった。

狸と大格闘をして傷ついた権の守が
ぐったりと倒れているではないか。

戸板に権の守をのせ、新開を下り、こう釜まで帰った。

権の守の好物そば粉に味付けたお粥を。

しかし、むなしく、とうとう死んでしまった。
。。

村の平和をとり戻してくれた勇者、権の守の死をなげき悲しんだ。

そして、坂瀬川に昔から観音様をおまつりしていた「経堂」という所の御堂でお葬式をすることに。

村人たちは、羽織・袴に盛装して集まった。

大楽院住職の読経により、盛大なお葬式で
権の守の霊をなぐさめたという。

その後、村人たちは、大恩ある勇者、権の守の死を悼み
「犬塚大明神」という塚を建て、今も、毎年正月七日お祭りをしている。

権の守の恩を忘れまいと、子へ、孫へと「犬塚さん」のお話として、語り伝えているそうです。